気 練 (きれん)
「気」は私たち人間を含む自然界に流れるエネルギーであり、心と体の調整を担う、生命力の源です。
「練」は、鍛錬する・訓練するという意味合いがあり、従って「気練」とは精神と肉体を鍛錬することにより気の充実をはかり、心と体の真の健康を目指すことです。
そうすることによって一生の間に起こる多様な出会いや出来事から学び、成長し、互いの縁を活かして思いやりのある意義深い人生を送ることそのものが、広い意味での〜気練〜ともいえます。
武心道の創始
私は1981年、一人の武道家として、今上天皇・皇后両陛下の御前で武心道の演武を行う機会があった。
死をも覚悟して臨んだ真剣白刃取りの演武であったが、その時に武心道をたてたのである。
武心道とは端的に言えば、武士道と言われるものの中から現代に適応しない部分を除いたものであるがゆえに、現在の無責任、無目的の日本人社会の実態を変える、最も有効な手段の一つと確信した。
「武士道教育総論」風間健著
武心道とは
武心道は武道を通して心を学ぶものである。心とは人の心すなわち人道にほかならない。当然、倫理道徳がその根幹をなしている。かつて日本人の心・技・体を具現化したものが武士道であった。しかしそれは、武力と表裏一体のものであった。
現代の武士道は、身分に関係のない人類道、または人間道でなければならない。それを実践するのが、「日本の武道のあり方が進化する二十一世紀の武心道である」と定義したい。
「武士道教育総論」風間健著
武心道は武道を通した人づくりとも言えますが、これは単に原則にすぎません。武道によって肉体を鍛えることが、精神の修養に最も適した方法の一つであることは多くの人が認めるところでしょう。
しかし人は、年齢、性別、環境、体力などがそれぞれ異なり、武道を学ぶ人は社会の中の少数です。
道主風間健は武道を通して人間として学んできたため、武道の指導に関しては体験を通しての専門家です。
その経験を通じて思い当たることは、道主の武道教育の底にあるものは、あらゆる人間教育論の基本にあるべきことだということです。
さらに、教育することを通じて、指導者も共に学んでいくことを重要視しています。
従って、武道を学ぶ環境にない人も、年齢性別に関係なく武心の道の考え方を学び理解し、人生に活かすことができます。